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【ネタバレ注意】1月1日に最終回を控えた『ファイアパンチ』を振り返る

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少年ジャンプ+で連載されている漫画『ファイアパンチ』が、来週、1月1日をもって最終回を迎えることが分かりました。

 

 

連載開始当初から追ってきた作品なので、とうとう最終回かと思うと胸が熱くなりますね。

 

読んできた人ならなんとなく分かってくれるんじゃないかと思うんですが、何度も「こりゃそろそろ最終回だな」って思いませんでした?

 

ぼくは思いました。

 

そしてその予想を外される度に「やべぇなこの作品……」ってなりましたよね。

ぼくはなりました。

 

先日、コミックス既刊をkindleでまとめ買いしまして、一気に読み進めました。

 

一週間という空白を設けずにいっぺんに読んでみて、この漫画の面白さを再確認できたように思います。

 

そこで、『ファイアパンチ』はどう面白い漫画だったのか、そして最終回でどのように幕を閉じるのか、というのを個人的に分析/予想してみたいと思います。

 

 

題にも書いてますが、超ネタバレ注意です。

 

未読だという人はここで引き返して、取りあえず1話を読みましょう。

めちゃくちゃ面白い1話なので。

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さて、本題に入りましょうか。

 

 

 

 

 

序章 覆われた男

1話が秀逸すぎる

先ほど未読の方に1話を勧めました。

 

漫画やアニメを勧めるときの常套句ですよね。

「取りあえず1話を見てくれ」というのは。

 

まぁ1話がその作品の始まりなんだから当然と言えば当然なんですが、この勧め方をされる作品って「1話がすげー面白い」ものが多い気がします。

 

ファイアパンチもこのタイプで、1話がめちゃくちゃに面白いんですよね。

 

そして、今読み返してみて分かるのは、後々のキーワードになる語が1話で既にあらかた出揃っていることです。

 

いくつか例を挙げてみましょうか。

 

 

「他の苦痛を全て受け入れてでも 死にだけは抗うのです」

これはアグニとルナが暮らす村の司祭のセリフです。

 

「苦痛」「死」はこの作品の重要な部分を占める言葉ですね。

 

あと、村人たちが「慈悲の炎を……」という祈りを口にするのも興味深いところです。

 

この台詞、アグニ教の祈りと若干重なりますよね。

 

 

 

そして、「生きて」ですね。

超重要な台詞です。この作品の根幹となる祝福であり、呪いでもあります。

 

この台詞は作中で何度も繰り返されることになりますね。

 

 

今後に繋がる伏線張り、世界観の説明をこなしながら、読者を一気に引き込むだけの魅力を備えた1話です。

 

ぼくはルナの「兄さんはおいしいです!」「あ、この漫画読もう」って決めましたからね。

 

 

 

アグニ様

サンが登場したことにより、アグニのキャラクターに重要な要素が付け加えられます。

 

「神様」「アグニ様」がそれです。

 

この漫画、キャラクター性、とりわけ主人公のキャラクター性に注目しています。

 

キャラクター性というのはつまり、その人物が他人からどう見られていているのか、自分のことをどのように認識しているのか、ということです。

 

主人公のアグニ(この言い方が適切であるかどうかすら定かではないのですが)は、例えば「村の希望の灯」であり、「兄さん」であり、「身を焦がす復讐者」であり、「正体不明の燃える祝福者」です。

 

サンは初対面の時点でアグニを「神様」として見ていますし、この認識は後に人々に敷衍していくことになります。

 

この認識に必要だったのは「外見」です。

 

もちろんアグニの行為も一つの要素ではあるんですが、重要なのは、というか作中で重要だと言及されるのは外見なのです。

 

そして、言うまでもなく外見はキャラクター性に多大な影響を与える要素です。

 

 

 

映画論者トガタ

トガタは一種のメタフィクショナルな登場人物として活躍することがあります。

特に登場初期はそうです。

 

我々の世界の映画のパロディーをところどころに挟んできますし、アグニとその道程を「ノンフィクションのアクション」と言及します。

 

そして、トガタがメタフィクショナルな人物だとぼくが評価する最たる要因は、作中で披露されるトガタの映画論です。

 

 

トガタは「2時間ずっと映画を見てもらいたいなら興味の持続を意識」「小さくてもくだらなくてもいいからハラハラさせろ」といったことをカメラを構えるネネトに唱えます。

 

これ、この漫画の話ですよね。

 

トガタの映画論はそのまま漫画論です。

 

ファイアパンチは全体を通してトガタの唱える映画論にしたがって描かれています。

 

 

ちなみに、この「映画論者トガタ」が登場する回は映画的で愉快な演出が多いです。

 

例えば、アグニを危険物として処理しようとするベヘムドルグ上層の軍人(喫煙者)たちが、作中で「火くれ」と連発するところです。

 

洒落がきいてますよね。

 

あと、このベヘムドルグ上層の人々、ユダを除けば名前が「ジャック」「イワン」「サイモン」と、名無し揃いです。

やられ役だということが一発で分かります。

 

いや、読み返して気づいたんですけどね。

 

 

頗章 覆う男

燃えるベヘムドルグ

アグニがベヘムドルグの奴隷たちを前にして、「アグニ」を思い出します。

 

「復讐者」から「正義のヒーロー」へとキャラクターが変わりますね。

 

そして、正義のヒーローの行為によってベヘムドルグは燃えることになり、「神様」「悪魔」、そして二者を併せ持つ「ファイアパンチ」というキャラクターが誕生することになります。

 

 

ベヘムドルグ焼失を期に、ユダは指導者の演技をやめます。

 

かつてルナの顔でアグニに「死んで」と言ったユダの次の願いは、「殺して」です。

 

この時点でユダもアグニも「生きる糧」を失っている状態にあります。

 

しかし、ここで登場するのが氷の魔女であるスーリャです。

 

このスーリャの目的は、「一度この世界を終わらせて 次の世界を暖かくすること」です。

 

そして、スーリャの話の中で、この物語の枠組みに関わる(と、ぼくが予想している)キーワードが飛び出します。

 

「破壊と再生」です。

 

このキーワードについては、最終回の予想の項目で触れることにしましょう。

 

 

 

「トガタ」

読心の祝福者バットマンによって、トガタがトランスジェンダーであることが明かされます。

 

トガタの告白は「外見」と中身の乖離に対する嫌悪感を吐露するものでした。

 

外見と中身の乖離はアグニにも起こったことです。

 

彼は無数のキャラクター(その多くが、望んで得たものではありません)を持っていますから、激昂するトガタに「少しはわかる気がするぞ!」と理解を示します。

 

しかし、トガタは理解を拒絶します。

 

トガタにとって、見た目と中身がかけ離れていることは文字通り「吐くほど気持ち悪い」ことなのです。

 

このシーンの直前、トガタはアグニに「神様の演技をしなくちゃいけない」と言います。

 

トガタは自らの経験から、アグニに「他人から見られているとはどういうことなのか」という説明をしたわけです。

 

このシーンには「期待は勝手にされるモンだよ」「期待してたのにって…怒られるんだよ」などのセリフもあります。

トガタの境遇から漏れ出たセリフですね。

 

 

 

そしてここから驚きが続きます。

 

ドマが保護する子供たちを見て、アグニはドマへの復讐を諦めます。

 

この時のアグニは「正義のヒーロー」のキャラクターです。

 

しかし、彼がルナの幻影を見たかと思うと、彼はドマを殺していたのです。

 

「正義のヒーロー」から「悪役」へ。

生きるために持ち続けていた復讐者のキャラクターが、アグニの意識を乗っ取ったシーンです。

 

幻視は続き、ルナの幻がアグニを凍った湖面に導きます。

 

ここにきて、アグニは「俺が悪役なんだ」と悟ります。復讐、殺人を生きる糧にしてきたことの清算です。

 

 

そして、問題のシーン。

 

 

 

「生きて…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!????!?!?!?

 

 

 

こうなりますよね!?!? 絶対なりますよね!?! ぼくはなりましたよ。

初見の時に5分くらい思考が止まりました。

 

なんというか、このシーンのトガタの心情を言葉にするのはめっちゃ難しいです。

 

言語化できない……矛盾だらけで、だからこそ尊いものを内包していると思います。

 

こんな陳腐な言い方をするのは惜しいんですが。

 

 

 

ルナとユダ

「木」がアグニに破壊された後、再生したユダはアグニに「ルナ」だと刷り込まれます。

 

そして、ここでも新たなキャラクターが誕生します。「ニーサン」ですね。

 

「ニーサン」となったアグニは、初めは死を願いながらも、「ルナ」を守ることを最優先にして動きます。

 

「ここで生きてしまえば 何かが俺を覆ってしまう」という懸念を吹き飛ばしたのは、またしても「生きて」です。

この「生きて」を発したのは「ルナ」ですね。

 

これ以降、「ニーサン」改め「兄さん」として、演技を続けることになります。

 

かつてのドマの家族に「ファイアパンチを殺して」と言われても、十年間も生き続けました。

 

 

サン率いるアグニ教団が「ユダ」を必要とし始め、「ルナ」がアグニを愛したとき、転機が訪れます。

 

 

アグニは再び「ファイアパンチ」となって炎で体を覆い、ルナでありユダである彼女は再び木になりました。

 

そして、82話。

このタイミングで、『ファイアパンチ』が神話であることが分かります(重ねて言いますが、予想です)。

 

 

 

 

 

『ファイアパンチ』は「神話」である

 さて、「燃えるベヘムドルグ」の項で後回しにしたスーリャの台詞に再び注目しましょう。

 

あ、この項目の文章は全部文末に(憶測です)ってつけて読んでくださいね。

 

 

さて、「破壊と再生」です。

 

端的に言えば、『ファイアパンチ』は「破壊と再生の神話」です。

 

「ユダの木」と呼ばれる物体の正体は、他の星から熱量を吸い上げて、根を下ろす星に還元する、という代物です。

 

82話で莫大な時間が経過していますが、それでも木の中枢にいる「ある女」「ある男」のことを想って生き続けています。

 

ここでは「生きる糧」の関係が彼らの間で逆転してますね。

 

あと、「ある男」が「熱さ」を耐えた一方で、「ある女」は「寒さ」を耐えています。

 

莫大な時間が経過した結果、星は「破壊」されました。

 

となれば、次に来るのは「再生」しかありません。

 

 

最終回、おそらく新たな星が登場するでしょう。

 

それは木が復活させたものかもしれませんし、新しく発見したものかもしれません。

 

とにかく、その新たな星は「暖かく」なります。

木によるテラフォーミング、「再生」です。

 

そして、その星にはいずれ文明が生まれ、それなりに繁栄し、滅びを迎えるでしょう。

 

具体的に言うなら氷河期とかで。

 

そして、兄妹が生まれます。

 

彼らは両者ともに再生の祝福者で……と、再び『ファイアパンチ』が始まります。

 

つまり、『ファイアパンチ』は、男女の愛による永劫回帰の神話なのです。

 

 

 

こう結論することで、ルナとユダとスーリャという三人が同じ姿をもっていた理由が明らかになります。

 

この三人、おそらく「ある女」の端末、あるいは分霊のような存在です。

 

「ある男」に生きていてもらうために、彼の道程に配置された存在なのでしょう。

 

ルナとユダは男に生きてもらうための存在です。

ユダには「次の木」になる役割もあります。

 

この三人の中で異質なスーリャですが、彼女の仕事は「男に生きる意志があるかどうかを確認すること」じゃないでしょうか。

 

で、結局その役割を持った三人がなぜ同じ姿をもつのか?

 

それは、「外見」が重要だからです。

 

 

 

 

 

さて、めちゃくちゃ好き勝手言いました。

 

これで最終回が全然違う話だったら赤っ恥なんですが、まぁそれは甘んじて受け入れます。

 

こういう考察ってやってる時が一番楽しいですからね。

 

午前三時までウンウン唸った成果がこれですから、何らかの形で表明しておきたいですし。

 

 

しかしまぁ、意味わからない文章でしたよね?

 

ぼくが書く文章って、自分の脳内にあることをそのまま書いたつもりになっちゃって、実際は全然言葉が足りてない、ということが多いと思います。

 

書いてるうちに脳内で勝手に補完しちゃうんですよね。

読み手のことを考えてない文章です。

 

だから、「読者の脳内で補完させる」ような作品を描く作家さんはすごいんですよ。

 

「読まれる」ことを前提にしたうえで、しかもそれをコントロールするわけですからね。

 

そういった意味でも『ファイアパンチ』は秀逸な漫画でした。

 

 

来たる1月1日を待ちましょう。

 

 

 

※1月3日追記

派手に外したんで……。

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